2011,02,10, Thursday
「縄で心を縛る」 素敵な言葉ですよね。 憧れます。 けれどこう思えるにはお互いの気持ちが必要だと思うのです。 縛られる側からすれば「縛られる=身を委ねる」しかないのです。 一種の「諦め」が入ります。 「受け入れるしかない」という覚悟も。 女性側 縛られると気持ちいい(縄酔い) SMはやっぱり緊縛だ 相手の思うように使われたい 抵抗できなくなるのがいい etc 男性側 動かれると危ないので縛る 自分の好きな体勢を保つために縛る 縛ると自分のものになったような感覚になる 縛られた女性は魅力的だ etc 縛ると一言でいっても人それぞれ捉え方があるのだと思います。 その日、その時によって意味も気持ちも変わるでしょうし。 私はまだ慣れていない男性に縛られる時は、絶対に声が出せる状態を希望します。 やっぱり…恐いんですよね。 「痛い」「苦しい」を訴えられない状態になるのは。 自分で動けなくなり、自分で自分を支えられなくなるので、何かあったらどうしようと。 なので、全身ガチガチに縛られている姿を見たりすると「すごい信頼関係だな」と感心します。 「相手に身を委ねる」 言葉で言うよりも相当難しいと思うのです。 ですが… 縛られるってすごくいいです。 相手を全面的に信頼していて、自分の中で「受け入れる」と思えた時、それは訪れます。 痛い、動けない、苦しい、助けて、もう外して… 色々なことが一度に押し寄せてくるのですが、泣こうが喚こうがどうにもならないのです。 そう思った時、何かが弾けます。 普段の強がっている私がいなくなります。 そしてMの私がどんどん出てきます。 縄で縛られているのはそう、心… 「普段のお前は縛り付けた。本当のお前を見せてみろ…」 そう言われているような…。 なーんて。笑 長文にて失礼いたしました。。
| http://mottoki.com/blogn/mentalconflict/index.php?e=11 |
| 行為 | 12:05 AM | comments (278) | trackback (0) | |